自己紹介

「不登校の味方」の運営者のマーライです。

春から大学生になります。(2022年1月時点)

このブログでは、自身の不登校経験をもとに、子供が不登校である親御さん子供が通信制高校に入学または転入を検討している親御さんに向けて発信していきます!

まず、このページではマーライがどんな人生を過ごしてきたのかを書きます!

1.小学生時代

小学生時代は明るく元気で、クラスの委員長をするタイプの子供でした。

運動が大好きでサッカー部に所属していました。

2.中学生時代

中学生時代は小学生のときと同じくクラスの委員長を務めていて、

さらに卓球部の部長も務めていました。

昔からスポーツが得意で、卓球では地元の大会で優勝することができました!

高校受験では暗記が得意だったため、なんとか偏差値69の公立高校に受かることができました!

昔から東京の難関私立大学に行きたかったため(理由はなんとなくです。)、

高校に入学する前から某大手予備校に入り、高校受験よりもたくさん勉強する毎日でした。

3.高校生1年生時代

入学してから、当初は卓球部に入部する予定でしたが断念しました。

なぜなら、スポーツ推薦で入ってきた人に負けるのが怖かったからです。

中学時代、地元では負けなしであったために推薦組の人に負けるのを想像すると怖く感じてしまいました。

その分、1年生のときから大学受験にむけて毎日予備校に通っていましたが、入学以降最初の定期テストでは思うような点数をとれませんでした。

理由が2つあります。

1つ目の理由は,定期テスト対策のスタートが遅かったからです。

予備校のスケジュールはとても速く(高校1年生の6月までに高校3年間で習う英単語1800個を覚えなければならないなど)、

最初の学校の定期テストのときには、すでに予備校の映像授業は2学期の範囲に突入していました。

しかし,予備校側がテスト1週間前まで定期試験の勉強をさせてくれず、ぎりぎりまで映像授業をひたすら進めるよう言ってきました。

2つ目の理由は、定期テスト対策が不十分だったからです。

偏差値が高い高校だったため問題の難易度が高く、そのレベルの対策が1週間では間に合いませんでした。

例えば、数学のテスト範囲は赤チャートからでした。(赤チャートはチャート式シリーズの中で最も難しいシリーズの参考書です。)

定期テストが終わってテストが返されたとき、とてもショックでした。

あんなに毎日予備校で勉強したのに、定期テストの何の役にも立たかったからです。

予備校の映像授業は簡単な問題しか説明してくれず、少し確認テストをすれば次のコマに進めてしまうため、分かった気になっていただけでした。

それから予備校に不信感を抱いてしまい、だんだん通わなくなりました。

気分転換に部活に入ろうとテニス部に体験入部してみましたが、入部はしませんでした。

テニス部の先輩方はテニスに熱心で優しかったのですが、みんな勉強をしておらず、「また赤点だったー笑笑」みたいな会話をしていたため、この部活にいたら自分もダメになると思い、入部しませんでした。

それから夏休みに突入したけど予備校を辞めてしまい、部活にも入らずと何とも言い難い毎日を送りました。

するとあっという間に夏休みが終わり、夏休み明けの定期試験が来てしまいました。

私の学校は、長期休暇後の定期試験のみ学年の順位が発表されるのですが、夏休みの間何も対策できず、当日を迎えてしまい、前回みたいに思ったような点数が取れなくショックを受けるのが目に見えたため、当日は学校にいけませんでした。

次の日からは通常授業でしたが、テストの日だけ休んだのかと周りの人に言われるのが怖く、次の日も学校を休んでしまいました。

その次の日もそのまた次の日も同じ理由で休んでしまい、どんどん学校に行くことすら怖くなり、不登校になってしまいました。

4.だんだん不登校に。。。

学校側もなんとなく察してくれたおかげで、スクールカウンセラーを勧めてくれたり、サポートをしてくれたおかげで行きやすくなりましたが、今度は授業についていけなくなりました。

それもショックで学校を休んでしまい、学校に行くときは親に送ってもらうか、2時間目以降から遅刻するかのどちらかでした。

冬からは、スクールカウンセラーから学校周辺の精神科をすすめられ、2週間に1回通院し、薬や漢方を毎日最低でも5錠は飲んでいました。

医者からの診断はノイローゼ(神経症)でした。

常に頭痛がして、勉強のことを考えるとより強い痛みを感じました。

ノイローゼになってから、明るく元気で人と話すのが好きだった性格が、静かで冷静であまり人と話すのが好きではないような昔とは真逆の性格に変化してしまいました。(理由は不登校になり、人と話すことがなくなり、自問自答するしかないような環境になったからだと思います。)

そのころから不登校にだんだんなっていきました。。。

5.高校2年生時代

学校は出席日数ぎりぎりでなんとか進級することができましたが、勉強の内容は全然入っていませんでした。

塾や予備校もたくさん探して体験をしましたが、全然長続きしませんでした。

精神が不安定で学校の勉強の内容があまり入らず、それ以前に「なんで勉強するのだろう」と我に返ってしまいました。

このままこの進学校にいても1年生の内容すら理解していないのに2年生の内容が理解できるわけないと思ってしまい家族と話し合いました。

その結果、通信制高校に転入することを決めました。

私が転入する通信制高校のコースは、単位制で毎日学校通わずに楽に卒業することができるコースでした。(もちろん学校に行かない代わりにレポートやスクーリング、定期テストがありますが、どれも難しくありません。例えば定期試験はレポートの内容とほとんど同じ問題が出題され、しっかり理解すれば100点取れるような問題です。

このコースにすることで、ゆっくりノイローゼを治し、「なぜ勉強するのか」「将来何をしたいか」を考える時間にしたいなと考えました。

6.通信制高校に転入

2年生の9月より通信制高校に転入することとなりました。

それと同時に毎日「将来何をしたいか」を探すためにいろいろ調べました。

小さいころから何かしらお金持ちになりたいと漠然とした夢がありましたが、何で稼ぐかは決まっていませんでした。

お金持ちになる方法は経営者になるしかない、と思っていたので、通信制高校にはいってから毎日、起業や会社経営のことを調べて研究しましたがが、いまいちパッとしたものがありませんでした。

通信制高校の対面授業では人と話す授業があまりなかったため、コミュニケーションの練習として、バスケ部に入りました。(バスケ部といってもサークルみたいな遊び半分みたいなものでした。また3年生のときに顧問の先生が転勤し廃部となり3年生のときは部活に所属していません)

7.母の介護のサポート

それから少し月日がたち、2年生のときの12月になったころ、母が入院してしまいました。

理由は末期がんです。

母は僕が小学生高学年のころに乳がんが発覚して、手術を受け病院に通っていました。

それから私が中学生のころに、がんが全身にいきわたり末期がんになってしまいました。

私が高校一年生の夏休みに親に勉強の相談ができなかったのは、父が末期がんの母のために、最期の2人の旅行として母が行きたかったイタリアに連れて行ってあげたからでした。(私はそれについて後悔していません!

12月に母の末期がんの進行が急激に加速したため入院しました。

しかし、母のがんを治療する方法は1つも残っていませんでした。(抗がん剤治療を試しましたが母には合いませんでした。)

コロナの時期により、家族との面会が禁止されてしまいました。

しかし、母は「死ぬ最期は家族といたい」と言い、母を家に連れ戻し、そこから自宅介護が始まりました。

そのとき、まだ行きたい大学や将来やりたいことが決まっていなかったため、受験勉強よりも母の介護を優先し、最期まで母の介護に徹しました。(訪問介護の方々が毎日来てくださったので、いないときに家族みんなでサポートをしました。)

8.高校3年生時代・母の死

そして私が3年生になり、5月に母は亡くなりました。

私は母によくなついていたため、とてもショックでした。

でも、母が最期に「好きなことをして生きなさい。」と言い残してくれたおかげで、経営者のほかにお金持ちになる方法はないかを調べるようになりました。

9.マーライの生きがい

※ここでは、色んな専門用語が出てきます。

「ふーん、そんなのがあるんだー」と流しながら読むのをおすすめします。

私は、「そもそもお金持ちの職業は何か」を知るために、日本の年収1億以上の職業について調べました。

https://hbol.jp/191060/より引用

上の円グラフの通り、年収1億以上の職業の割合の大部分を占めていたのが「株・為替などのトレーダー」でした。

トレーダーが割合の大部分を占めていることから、「おそらく自分は経営者に向いていない。もしかしたら、トレーダーのほうが向いているのでは?」と思い、株・FXについて本気で研究しようと思いました。

そこで、まず株のデモトレード(スマホアプリ版)を1か月しました。(2021年8月の終わりぐらいから)

ある程度、基礎知識や手法を学んでからデモトレードをしました。

デモトレードでは、「スイング」という手法を用いてトレードを行いました。(私が使用したスマホアプリのデモトレードでは板が載っていいなかったので「スキャルピング」「デイトレード」ができませんでした。また、1か月の期間で検証するため、結果的に「スイング」になってしまいました。)

当時、私は値上がり率が高かった「川崎汽船」と「日本郵船」の海運株2銘柄、それと他の業界の株(銘柄の名前を忘れました。)1銘柄の計3銘柄を合わせて1000万円分買いました。

すると数週間で100万円ちょいの利益が出ましたが、9月の終わり際からどんどん海運株が下がっていきました。

私は下がり始めてすぐに海運株2銘柄を利確しましたが、海運株はまだ、どんどん下がってついには私が「買い」を入れた値段よりも下がっていきました。(もう1銘柄はどのタイミングか忘れましたが、利確しました。)

後に原因を調べてみると、海運株急騰の理由は、決算で業績の急回復が誰の目にも明らかになり、本来の企業価値と現在の株価を比較した際に、相当な割安感が台頭したためで、また財務体質の改善による増配が予想されていることも、株価上昇の要因になったそうです。

暴落の原因は、9月28日が中間配当を得るための最終日だったため、配当の権利落ちによる下落に、その下落を見込んだトレーダーの売りが加わったからだそうです。

※このページを書いている2022年1月時点では、海運株は9月の高値まで戻っていました。

この経験を通して、「株の値動きは、中長期では経営成績や財政状況などのファンダメンタル分析、時間軸が短い短期間だとテクニカル分析を用いたトレーダーたちによる売買で決まる」ことを身をもって経験することができました。

次に為替のデモトレードをしました(某大手FX会社のです)。(2021年10月から)

為替のデモトレードをするまでに、本やインターネットも用いて「FX( 外国為替証拠金取引)」の基礎から手法、資金管理を徹底的に調べました。(株のときの比にならないぐらい徹底的に調べました。)

そして、自分なりに手法や利確・損切などの資金管理のルールを作りました。(トレードする通貨ペアはドル円のみで手法はスキャルピングとデイトレードの中間みたいな感じです。詳しいマイルールは公開しません。)

3か月ほど手法やテクニカル分析、利確・損切などの資金管理を試行錯誤した結果、1日10pips以上を安定的にとれるマイルールを作ることができました。(雇用統計の立ち回りは記事を書いている現在も試行錯誤中です。)

また、ドル円を毎日1レバレッジ25倍で10pipsを安定的に取れれば、毎日資金が2%増えるので、あとは「複利で増やせる」ことに気づきました。

また、株よりも為替のほうが向いていることも気づきました。(今のところ)

この3か月を通して、「もしかしたら自分も毎日10pipsとることで、複利で億トレーダーになれるかも?! 実際にトレードしてみたい!」と強く思うようになりましたが、まだできない理由が2つあります。

1つ目の理由は、国内口座開設は20歳以上だからです。(このページ書いている現在はまだ18歳です。)

そして2つ目の理由は現在手元に資金がないからです。( このページ書いている現在はお小遣いなどの微々たる資金しか持っていません。)

そのため、20歳まではバイトやブログ運営で元金を稼ぐことにしました!

私は株と為替の2つを経験したこの4か月間で、普通の高校生では学べないたくさんのことを学びました。

最初は、「日本の年収1億の職業の割合の大部分が株・為替のトレーダーだから株・為替をやってみよう!!」と浅はかな理由でデモトレードをスタートしましたが、毎日アメリカ・日本の政治や経済のニュースをテレビやSNSを用いてチェックしたり(ファンダメンタル分析)、テクニカル分析を用いてトレードをするのが楽しくなり,「好きなことはいくらでもできるんだな」と身をもって経験することができました。

そして、将来は「トレーダーになりたい!!」と本気で思うようになり、将来トレーダーになって生活することが、私(マーライ)の「生きがい」となりました。

※【注意】基本的に、私は人に「株・為替」を勧めません。やる場合は自己責任でお願いします。

10.マーライのやりがい

現在、私はノイローゼを治すことができ、完全に不登校から立ち直ることができました。

そして、私の生きがいを見つけることもできました。

令和2年では、文部科学省によると小中学校からの不登校児童生徒数は19万人以上で、小中高等学校からの児童生徒の自殺者数は400人を超えるそうです。

https://www.mext.go.jp/content/20201015-mext_jidou02-100002753_01.pdf

この現状を改善すべく「不登校経験を活かして自分ができることは何だろう」と考えた結果、ブログを通して自身の不登校経験をもとに、不登校のお子さんやその親御さんに向けて情報を発信することを決意しました!

私は一人でも多くの不登校に人生の生きがいとやりがいを見つけてもらうのが、私がこのブログ「不登校の味方」を運営する「やりがい」です。

ブログの名前の由来は、子供が不登校である親御さんや子供が通信制高校に入学または転入を検討している親御さんに向けて発信することで、このブログが「少しでも子供の不登校が原因で悩みを抱えている親御さんの味方になれたらいいな」という願いを込めています。

私は不登校が生きがいとやりがいを持てば、不登校の未来は明るくなると思っています。

生きがいとやりがいは多ければ多く持つほど人生が楽しくなると思います! !

11.2つ目のやりがい

ところで、「マーライ、大学受験はどうするの?」と疑問に思った方がいらっしゃると思います。

全くその通りです。

実は、株・為替のトレードと同時に大学受験のこともしっかり考えていました。

自分でマイルールを作って検証した結果、トレーダーになる自信にながりましたが、「実際のお金でのトレードで継続して勝つことができるのか」はやってみないとわからないので、だったら兼業でトレードができて、やりがいのある仕事はないか探しました。(為替は24時間トレードすることができます。)

それの答えが、大卒区分の地元の市役所職員(地方公務員)でした。

なぜなら、地元の方々のために働くという「やりがい」のある仕事で、なおかつ株・為替のトレードができるからです。

※公務員は株・為替のトレードは副業に該当しないのですが、このブログの運営は副業に該当する可能性があるので、もし公務員になったらなったでそのとき、「このブログをどうするのか」考えてます。

また、 一般的に市役所職員は残業が少ない傾向があり、帰宅後からのトレードをする時間を十分に確保できます。

少しマニアックな話になりますが、仕事から帰ってきてから寝るまでの時間帯がロンドン市場終盤からニューヨーク市場が始まる時間帯なのですが、その時間帯は私が取引するドル円の相場が読みやすく勝ちやすいのです!!

そして、 大卒区分の地元の市役所の職員 の就職試験が受けられるように、12月に地元で通いやすい大学に入学するために地元の私立大学を受験しました。

結果は合格しました。

4月からその大学に入学します!!

話を振り返ると、高校入学当初はなんとなく東京の難関私立大学を志望しましたが、結果は地元の偏差値まあまあの私立大学に入学することとなりました。

でも、その分将来何をしたいのかという生きがいとやりがいを見つけることができたので大満足です。

これからは、将来のために株・為替のデモトレードで練習し、ブログ運営とバイトでトレードの資金を稼ぎ、もしものときのために公務員試験の勉強するつもりです!

これが現在執筆に至るまでのお話です。

12.最後に

このブログはとりあえず私が公務員になるまで運営し続けようと考えています。

※もし公務員になったら、副業に該当する可能性があり、このブログを削除するかもしれません。ならなかった場合は、このブログを継続して運営するつもりです!

ブログの最初のところで説明した通り、子供が不登校である親御さんや子供が通信制高校に入学または転入を検討している親御さんに向けて発信していきます。

(私が特に読んでほしい記事を下に載せておきます。)